壁画発見の衝撃と喜び
1983年11月7日、奈良県明日香村のキトラ古墳で、石室の北壁に描かれた「玄武(げんぶ)」が発見されました。
ファイバースコープによる非破壊調査で初めて確認されたその姿は、1300年以上もの時を経て現れた古代の絵画芸術の奇跡として、日本中に大きな衝撃を与えました。
玄武とは、亀と蛇が絡み合った姿で表される北方の守護神。天の四神のひとつであり、他にも東の青龍・南の朱雀・西の白虎が描かれていることが後に確認されました。まさに、古代天文と陰陽思想の粋が込められた遺構だったのです。
「発見の喜び」が突きつけた保存の現実
しかし、この大発見は同時に「文化財保存のむずかしさ」を突きつけることにもなりました。
石室内部はわずかな湿度変化でも結露が生じる極めてデリケートな環境。調査や見学のために外気を入れると、微生物やカビが繁殖しやすくなるという問題が発生しました。
実際、発見後の調査で、壁面の漆喰や石材の隙間などから土壌由来のカビ(Trichoderma、Penicillium など)が検出されています。
幸い、壁画そのものへの深刻な被害は確認されませんでしたが、専門家たちは殺菌や湿度管理などの緻密な作業を重ねながら、カビの拡大を防いできました。
壁画の未来へ──「守るために取り出す」という決断
2004年からは、壁画を石室から取り外し、専用の施設で保存するという大規模なプロジェクトが始まりました。
温度・湿度・光を徹底的に管理した環境で修復作業が行われ、現在は「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」で一部が一般公開されています。
この試みは、単に古墳の壁画を守るだけでなく、「発見した後にどう保存するか」という文化財保存の新たな指針を示すものとなりました。
発見の先にある責任
キトラ古墳の玄武発見は、学術的な価値だけでなく、「文化財をどう未来へ引き継ぐか」という課題を私たちに投げかけています。
発見の感動の陰には、劣化との闘いと、科学的保存の不断の努力があります。
1300年前の絵をいま見られるのは、その「発見の先」を真剣に考え続けた人々の手によるものなのです。

